銀河の逃避行

今、万感の思いを乗せて汽車が行く

「男はつらいよ お帰り 寅さん」感想。 どうだい、寅さんがいなくてつまんないだろう?

昔、大きなものを諦めてすっかり沈んでいた時期があって、その頃むさぼる様に映画を観た。

 

男はつらいよ」シリーズは、くよくよしていた私を元気付けた映画の一つで、1作目を観て「泣きながら笑う」という珍しい感情の状態になって、すっかりその快感にしびれた私は、2作目、3作目と毎週毎週ツタヤで続きをレンタルしていた。

 

幼い頃、テレビでちょこちょこ観てはいたのだ。小さいながらに漠然と面白いなあ、とは思っていたが、大人になってからこんなにどはまりするとは思わなかった。年を経て、寅さんの感情の機微が少し分かる様になってきたのであろう。

 

シリーズ後半になり、映画の軸足が満男の恋愛模様に移ってきてからはちょっと観るのがきつくなってきて、結局シリーズ全部を観ることはなかった。

吉岡秀隆という俳優が苦手なのだ。弱々しくてうじうじしてて。まあ、役柄ということもあるけど。私が観たいのは勝手気ままで突拍子もない行動をする寅さんなのだ。

 

 

映画「男はつらいよ」50周年の節目の年に、50本目の新作を(これについては異を唱えたい人もあるだろうけど)、しかも正月に興行する、というしゃれっ気をやってのけられては、「男はつらいよ お帰り 寅さん」を観に行かないわけにはいかない。

 

観に行く前日に「男はつらいよ」の第1作目を観て復習。やはりげらげら笑いながら涙した。うん、この映画大好きだ。そんな思いが溢れる。

 

というわけで観に行ってきた。注意;ここからはネタバレを含む感想。

 

f:id:ruthetting:20200109162416j:plain

男はつらいよ お帰り 寅さん

 

ムック本「男はつらいよ 50周年 わたしの寅さん」(朝日新聞出版)からあらすじをひっぱると、

 

念願の小説家になった満男(吉岡秀隆)は、中学3年になった娘ユリ(桜田ひより)と2人で暮らしている。亡くなった妻の七回忌の法要で、久しぶりに葛飾の実家に帰ってきた満男は、母・さくら(倍賞千恵子)と父・博(前田吟)や近所の人たちと昔話に花を咲かせる。その話題の中心は騒々しくて楽しい伯父・寅次郎(渥美清)との日々。満男は「寅さん」に会えず、心に穴が空いたようになっていた。そんな状況のなか、満男のサイン会に現れたのが、イズミだった。初恋の人との再会を果たした満男は……。                         

 

とのことで、まあ、仕方のないことではあるが、満男を中心にして話が進んでいく。

 

 

男はつらいよ」シリーズでは、寅さんの見る夢から始まることがあって、その夢がまたぶっとんでて面白い(UFOがでてきたり、人食いザメと戦ったり…)のだが、「男はつらいよ お帰り 寅さん」は満男の夢で始まる。

 

これが単なるシリアスな夢で、ふーん、そんな始まり方なんだ、と思っていると、山本直純のスコアによるあの有名なテーマ曲のイントロが流れ、「おっ!待ってました!」と気持ちが踊る。

 

しかし続けて、誰だか知らない男の声で寅さんの「わたくし、生まれも育ちも…」という口上が述べられる。山田洋次監督のどっきり演出のひとつなのかな?とわくわくしてたら、正体はあの有名な歌手で、おお、とは思うものの別にファンという訳でもなし、のちに本編に関わってくる訳でもない。

 

寅さんじゃないのか…」とがっくり来る。

 

映画は、「男はつらいよ」の名シーンを回想という形で挟みながら進んでいく。1作目の博と寅さんの舟の上での言い合い、有名なメロン騒動(「訳を聞こうじゃねえか」、のせりふは何度聞いても腹がよじれる)、リリー(浅丘ルリ子)と結ばれそうで結ばれないやきもきするシーンなどなど。

 

回想シーンのどたばた感とは真反対に、静かに静かに進んでいく満男の恋。なんだっていつもこんなに辛気くさい顔をしているんだ、この人は。そして、こんなにギョロ目だったかな。どうも苦手だ。

f:id:ruthetting:20200109170148j:plain

吉岡秀隆という俳優が苦手である。

 

さくら(倍賞千恵子)や博(前田吟)もすっかり年を取っている。とらやのあの畳の間に上がる段差には手すりが取り付けられている。この辺のディテールには感心した。

 

おいちゃんおばちゃんはもういないし、タコ社長も御前様もいない(蛾次郎はいる。そこにほっとする)。

 

そして、何より寅さんがとらやに帰ってこないからどたばた劇が始まらない

 

満男の恋はそれなりに盛り上がるのだが、私は満男の恋模様の作品群を観ていないので、ゴクミや夏木マリ橋爪功の人間模様が分からず、あまり感情移入できない。

 

エンドロールが流れるのを観ながら、寅さんの不在の大きさを思い知らされた。寅さんなしにはちっとも話が転がらないのだ。寅さんの映画を観て、逆に寅さんに飢えるような心持ちになってしまった。

山田洋次監督が映画にメッセージを込めたとするならば、どうだい、寅さんがいなくてつまんないだろう?ということなのか。

 

 

映画館を出て本屋に行き、先述したムック本「男はつらいよ 50周年 わたしの寅さん」(朝日新聞出版)を買った。そこには山田洋次監督のインタビューが載っていた。そこに書かれていたことを読んで合点がいった。

 

寅のようにはみ出した人間、人口統計にも入るか入らないか分からないような人間を容認すること、考え方も行動も自由でめちゃくちゃで、はた迷惑な人間も排除してはいけないということです。

 

やっぱり。これがメッセージだったんだ。邪魔なもの、余計なもの、無駄なものを全部目の前から消していったらすごくつまんない世の中になるよ、というメッセージ。

 

このメッセージを受け取れただけでも、映画を観にいった価値があったというもの。いつかもう少しゆるゆるな世の中にして、寅さんにお帰りを言いたいものだ。

 

 

 

www.ruth-etting.com