キラ星のごとき大スターの歌手たちでも、意外とデビュー曲は売り上げ的にこけちゃいました(瀬古選手)なことも珍しくない。
しかし、作家陣はデビュー作ともなれば力が入っているので、実は素晴らしい完成度の曲であることもまた珍しくない。
そんな、周囲の期待に反して売り上げが芳しくなかったものの、素晴らしいデビュー曲たちをいとおしみたい。
「大きなソニー 大きな新人」という販促チラシの売り文句で、まさに社名を背負ってデビューした山口百恵だが、デビュー曲「としごろ」は6万枚くらいの売り上げで、コケた。
でも爽やかで明るい上質のポップスで、これがコケるのか、とも思う。
プロデューサーの酒井政利はインタビューでこう言っている。
「南沙織にしても郷ひろみにしてもデビュー曲からヒットしましたが、それは本当は危険なことでもあるんです。歌手としても緩みが出てしまう。むしろデビュー曲がやや苦戦した方が、2作め、3作めと伸びてきますよ。そういう意味では山口百恵はデビュー曲を見事に外したんです。」
このデビュー曲の失敗から、「青い性路線」が生まれるのだから、失敗はするものである。
同じインタビューで、
「ここで方向転換しなければということで、桜田淳子や森昌子が『平凡』や『明星』ならば、山口百恵は『平凡パンチ』や『プレイボーイ』でいけばいいと。(作詞家の)千家和也さんと話をして、凛としたところを活かしつつ、過激にいきましょうかと。」
「としごろ」の爽やかポップス路線も好きなのだけど、急な舵取りで過激にイメージチェンジする見切りの早さと対応力、昭和のパワーはすごい。
お次。和田アキ子。
和田アキ子は中学生の時から大阪のミナミの盛り場で有名な不良であった。ジャズ喫茶に出入りしては、バンドに「下手くそ」とヤジを飛ばしていたそうである。その時のバンドがファニーズ(のちのザ・タイガース)だったりする。
そのうち「じゃあ、お前が歌ってみろ」という流れでステージに立つようになったところ評判を呼び、ホリプロの社長の目に止まるのである。
最初は「マーガレット和田」という芸名で売り出そうとされたらしいが、その名前では今頃芸能界の女番長の座にはついていなかったであろう。
彼女のパワフルな歌声を活かし、GSの次なるブームとしてR&Bを打ち出し、キャッチフレーズは「R&Bの女王」としてデビューする。
デビュー曲は作詞が阿久悠(まだ駆け出しのころ)、作曲はロビー和田が担当した「星空の孤独」。
この時和田アキ子は18歳であるが、壮大なスケールの、本当に星空が見えるようなR&Bバラードを見事に歌いこなしている。
最後、テレサ・テン。
アジアの歌姫の日本デビュー作が、「今夜かしら明日かしら」である。
作詞に山上路夫、作曲に筒美京平、編曲が高田弘という面々で、のちのしっとり演歌路線ではなく、はねたアイドル調のポップスソング。
これが見事に不発に終わる。いい曲なのになあ。
テレサ・テン/今夜かしら明日かしら@「8時だヨ!全員集合」(1974 3 16)
路線変更で、しっとり感満載の2作め「空港」が大ヒットし、その後も演歌路線で売れ続けた。