銀河の逃避行

今、万感の思いを乗せて汽車が行く

凄い人達が集まって南太平洋に旅行したら凄い曲が生まれた話。プロデューサー酒井政利。

音楽プロデューサーといえば酒井政利という名前が真っ先に浮かぶ人も多いかと思う。日本コロムビアからCBSソニーへと渡り歩き、島倉千代子こまどり姉妹フォーリーブスカルメン・マキ、郷ひろみ南沙織山口百恵など数々の歌手をヒットへと導いた。青山和子の「愛と死を見つめて」、ジュディ・オング「魅せられて」でレコード大賞も獲得している。

 

青山和子の「愛と死を見つめて」といえば、「♪マコ、甘えてばかりでごめんね」という歌い出しが有名だが、志村けんがこれのパロディをやっていたのをふと思い出した。

 

マーシーが出てくるけど、気にしない人だけご視聴どうぞ。7分30秒くらい。


志村けんのだいじょうぶだぁ じいさんばあさん 28

「♪爺さん、甘えてばかりでごめんね」とおかしなモーション付きで歌う志村。最高か。

 

プレイバックpart2ネタ、UFOネタ、矢切の渡しネタ、尾藤イサオネタ、山本リンダネタ、がんばんベーやーって元ネタなんだっけ。15分のコントにこれだけ詰め込む志村の音楽的才能は本当に素晴らしい。

 

と話がそれたが、酒井政利の話。

 

1977年に電通が「南太平洋・裸足の旅」と銘打って、阿久悠浅井慎平横尾忠則池田満寿夫などのトップクリエーターを集めてフィジータヒチイースター島などを15日かけて回る企画を主催した。そこに酒井政利も参加、部族の集落での宿泊を体験したり、一人が講師役をしてサロンを開くなど、我々から見るともう暇を持て余した神々の遊びモンスターエンジン)…!

 

暇を持て余した、はさすがにないか。各界の超売れっ子たちが15日間もスケジュールを合わせて参加した旅だが、電通の狙いは、南の島に彼らを連れ出して様々な体験をさせて、そこから生まれるアイデアを広告に活かす、というものだったらしく、会話はすべて記録されていた。すごいな、電通の力。

 

酒井政利二とってかなり刺激的な旅だったようで、酒井政利はこの旅から帰るとアイデアがたくさん湧いてきた、と語っている。この旅からインスピレーションを得て、酒井政利は4つの大ヒットを飛ばした。

 

1つ目、サモアで誰かが「まるで時間が止まっているようだ」という発言から「時間よ止まれ」というキャッチコピーが誕生。矢沢永吉の元に出来上がった詩を持ち込むと、「人の詩は歌いたくない」と難色。それでもなんども説得したら「条件がある。矢沢、この歌一生歌わないよ」と矢沢流のオッケーがもらえて誕生した曲。

ちなみに、矢沢流のNGは、「俺はいいけど、矢沢は何というかな」。


時間よ止まれ 矢沢永吉

 

 

2つ目、国鉄(今のJR)のキャンペーンと連動した山口百恵いい日旅立ち」。金がなかった国鉄だが、日本旅行と日立がキャンペーンに協賛、そういう事情で「日旅」、「日立」の文字がタイトルに入れられている。


1978年CM 国鉄 いい日旅立ちキャンペーン

 

 

3つ目、ジュディ・オングの「魅せられて」。旅行中に池田満寿夫から「今度、『エーゲ海に捧ぐ』を映画化するから、曲を作ってよ」と言われたことがきっかけ。その映画に出た女優のチッチョリーナがワコールのCMにも出演することになり、その映像に合うような歌を作って欲しい、という話が持ち込まれる。ワコールは時代劇の汚れ役をやっている、という理由でジュディ・オングの起用には反対していたとのことだが、いざCMが流れると大反響。

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ジュディ・オング/魅せられて 作詞 阿木耀子 作・編曲 筒美京平

 

作詞の阿木耀子酒井政利は「女性の性」に焦点を当てて作ったらしいが、ジュディ・オングのレースのカーテンひきちぎりな衣装の方に注目がいき、その目論見は成功せず。

 

チッチョリーナの時点でかなり「女性の性」が強いと思うが。

 


ジュディ・オング - 魅せられて Live 1979年

 

 

4つ目、久保田早紀「異邦人ーシルクロードのテーマー」。「カラーテレビのCM用にシルクロードを歌った曲が欲しい、歌手は新人がいい」というリクエストを受ける。ソニーのオーディション出身の久保田小百合(久保田早紀の本名)という新人が作った「白い朝」という作品のタイトルと歌詞の一部を変えて、さらに「シルクロードのテーマ」というサブタイトルをつけて発表。これまた大ヒット。


1978-1988 三洋電機CM集 #109

久保田早紀は父親がイランに赴任していて、中近東の音楽に親しんでいたという。まさにシルクロードというコンセプトにうってつけの人物だった。

 

 

おまけ…というにはビッグヒットすぎる歌だが、その旅行でイースター島に行った時、横尾忠則が「今日はUFOを呼ぼう」と言い出し、本当に光る物体が見えた。阿久悠は「管制塔の光だ」と言ったが、後で確認すると管制塔はその反対側にしかなかった、ということがあった。帰国してしばらくすると阿久悠作詞のピンクレディー「UFO」が大ヒットした。

こんなエピソードが日本を席巻するエンターテイメントソングを生み出す。阿久悠のインプットとアウトプットをつなぐ回路は一体どうなっておるのだ。阿久悠はヒューメイリアンなのか。


ピンクレディー Pink Lady UFO

 

というわけで、何かアイデアに煮詰まった時は、アカデミックな人たちを集めて南太平洋に行って、ハッピートークをするべし。

 

 

 

 

 

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